習作

100編を目標に空についての小説を書く。

「急停車致します。お近くの吊革にお捕まり下さい」

「ただいま人身事故が発生しました。新しい情報が入り次第お知らせ致します」

え。まじか。もうどうでも良くなってきたな。大学行かずに帰るか。今日は2限からだから1限の日よりは楽だけど、その生活にも慣れて2限に間に合うように登校するのさえしんどくなっていた。昨日は日曜日だからと一日中寝ていたにも関わらずだ。今日は8時にアラームをつけたが、意識は湖の底の泥の中のように重く、身動きが取れなかった。それでも母にカーテンを開けられ無理やり叩き起されてなんとか家を這い出てきた。その矢先に人身事故で車内に閉じ込められたのだ。もういいや、今日は近くの喫茶店に入ってやらずに放置していた大学の復習をしよう。そう諦め、僕はさっきまで読んでいた本を再び読み始めた。その物語は妻に家出された男が井戸の中に入って思考に沈む話だった。僕らは何かが自然落下してくることを察知してそこに待ち構え、それを僕らの中に通過させていくことしか出来ない。落ちたものをもう一度持ち上げたり、右にあったものを左に移すということさえも叶わない。にもかかわらずその自然落下する何かを察知できず、正しい位置に待ち構えられなければもはやそれを通過させることも許されなくなる。僕はそれが通過する一瞬間にだけ僕の存在を手に取って眺めることが出来る。でも、しばらくそれは失われてしまうようだ。次いつ落ちてくるかも分からない。電車内は、そんな現実性を欠いた空間になっていた。時間がどっちに進んでいるのか分からない、もしかしたらずっとそこに澱んで沈んでいっているのかもしれない。車窓には日光が射していたが、ひどく人工的に思えた。

気がつくと電車は動いていた。でももはや僕には動いていても止まっていても、どちらでも構わなかった。僕の意識はあの事故現場に取り残されてしまった。いつの間にか線路に飛び込んだ誰かと入れ替わってしまったのかもしれない。彼は、もうずっとそこから動くことができないのだろう。それはどんな気分だろう。

新百合ヶ丘で駅のホームに降りた。閉所から解放されて少しだけ現実性が戻ってきた。大学に行こうか家に帰ろうか逡巡した。

「次の新宿行は5番ホームより出発します」

それを聞いて自動的に身体が5番ホームの電車に乗り込んだ。そもそも僕に選択肢なんてなかったんだ。何かが落ちてくるのを察知したら、そこに身を移すことに慣れてしまっていた。

乗り換えて池袋に着いた。地下道を出て、強い陽射しを受け輝く横断歩道を渡る人の一群が、これは現実だと教えてくれた。路地に一陣の5月の風が吹き、目が覚めた。突然世界が色に溢れた。木々は生命力の溢れた緑に輝き、人々の笑い声が耳に入り、青く限りない空が頭上に広がっていることを思い出した。空腹を感じた。横浜家系ラーメンは体の隅々まで行き渡り、僕の身体が肉であることを示した。まぁ、何が起こるか分からないけど、なるようになるさ。僕はしばらくの間公園で昼の池袋をぼんやり眺めた後、大学に向かった。