習作

100編を目標に空についての小説を書く。

ユニタリ行列

「諸君、朗報だ!」

「諸君って、俺しかいないっすよ先輩?」

「なんと...我が数学研究部に女子転校生が入るらしい!」

「...またまたぁ、遂に暑さにやられて脳のCPUが熱暴走しちゃったんですかぁ先輩?こんな四畳半もないむさ苦しいホワイトボードしかない会議室で生徒会のいない時間にこそこそ数学やるだけの非公認団体に女子なんか来るわけないじゃないですか。部員は俺と先輩、あと新歓ともう1回くらいしか来なかった幽霊部員の佐々木しかいないし、しかもこんな中途半端な時期に来るわけないじゃないですか」

「バカにするな岡谷!俺は確かに知ってるんだ!1-Cに転校生が来たことはお前も知っているだろう?」

「もちろんですよ、うちの高校ほとんど転校生なんて来ませんからね。しかもお嬢様学校で有名なセイントリリーからだとか。まさか、その娘が?」

「そうだ!」

「いやいや...そんなわけ」

「いいや!本当だったら本当だっ!明日、見学に来るそうだ!どこで知ったか俺のLINEに直接メッセージが来たんだ、明日見学に伺いますって」

「はぁ...もう相手するの疲れたんで帰りますね。じゃ」

「頼むよぉ、信じてくれよォ!部員お前しかいないんだよ!俺、女の子と2人きりでこの部屋いたら緊張でどうにかなっちまうって!お願いだから助けて!」

「しょうがないなぁ。まぁ明日になればわかる事だし、とりあえず今は信じますよ。で、俺は何したらいいんですか、先輩?」

「ふぅ...良かった、とりあえず引き止められた...まずは明日、彼女に我が数学研究部の紹介をしなくてはならない。何をしたらいいと思う?」

「まぁ、無難に俺らが普段活動しているところを見せればいいんじゃないですかね。ちょうど今日先生から問題貰ってますし。」

「そうだな、いつも通りでいこう。ところでその問題見せてくれないか?」

「ああはい、どうぞ」

A,Bをエルミート行列とし、A,Bの規格化された固有ベクトルをブラケット記法でで|a>,|b>とする。U_jk=<a_j|b_k>とするとき、Uはユニタリ行列であることを示せ。

「ふむ、U_jkがユニタリ行列であることを示せば良いのか。JKを数学研究部に誘うのにもってこいの問題じゃないか」

「そんなこと言ってるからモテないんですよ先輩」

「なにおぅ!?お前だって今U_jkって言った時窓の外見たじゃん!そっちにプールがあるのは知ってんだぞ!女子の水着姿覗いてたんじゃないのか?」

「そんなわけないじゃないですか、誰もいませんでしたよ。」

「ほら、見ようとしてんじゃん!お前だってそんなだからモテないんだよ!」

 

私と佐々木は第三会議室の外で彼らに見つからないように聞き耳を立てていた。

「どう?馴染めそうかい?」

「ああ、最高だぜ...!」

思った通りだ。あんなクソ女子校抜け出してきて正解だった。マウント合戦、彼氏自慢、見栄をはるための容姿への投資、カースト制。うんざりだ。私も思ったことを叫んで蔑み合うくらいの仲間が欲しい。もう女だらけの空間なんて嫌だ。

「俺としてはあいつらに女が割り込むのは、勘弁して欲しいのだが...」

「ごめん、こんなの見てたら私我慢できない!」

「気持ちはわかる、だがよく考えろ。お前が入ったらあの2人はきっとお前に興味を持つ。そしたらあの関係は崩れてしまうんだぞ?それをお前は本当に望むのか?」

「ふぐぅ!うっ、それは嫌だ、でも彼らと話してみたい...」

「まぁいい、ゆっくり考えろ」

私が数学研究部に入ろうと思ったのは純粋に数学が好きだからというのもあるが、部員が彼らだからというのが一番の理由だ。2-Dの斉藤、1-Aの岡谷、1-Cの佐々木。うち佐々木は幽霊部員だと本人から聞いた。彼が幽霊になったのは、斉藤と岡谷があまりに尊いからだ。新歓に来た時から2人はすぐに意気投合し、今みたいに罵り合う程の仲の良さだったようだ。佐々木は彼らの関係を守るべく、ひっそりと部活に出なくなり、ときどき今みたいにドアの前から談笑を聞いているらしい。こんな話を転校初日、佐々木の隣の席だった私が数学研究部について尋ねたら教えてくれた。

私はセイントリリー時代、1度は本気で男になることを考えた。けど環境が悪いのになんで私が我慢しなきゃけないのかと憤った。そして転校を決めた。親には猛反発を受けた。あなたをそんなふうに育てた覚えはない、もう学費は出さないと。でも私の決意は固かった。家出して深夜のコンビニバイトを始め、一人暮らしを始めた。髪を短く切った。そして僅かな時間をこの高校の編入試験の勉強に当てた。ここなら優秀な成績を取れば学費、寮費が免除される制度がある。勉強は幼い頃から得意だったし、学費免除の自信ならある。

私の青春は私が掴む。もう誰にも邪魔させない。