習作

100編を目標に空についての小説を書く。

父母ヶ浜

岡山駅快速マリンライナーに乗り換えた。車内は半袖の旅行客が多く、席はほとんど埋まっていた。私はドアの近くの大きな窓から外を眺めるのが好きなので、乗り込んですぐの場所に立った。出発してしばらくすると鉄橋の上に出た。瀬戸大橋だ。進行方向の両側、足元に海が見える。瀬戸内海にはいくつかの島が浮かんでいた。そのうちの一つに白い大きな灯台があった。あそこには人が住んでいるのだろうか。住んでいるとしたらどんな暮らしをしているだろう。まさか自給自足をしているわけでもないだろうし、買い物は船で四国側か岡山側に行くのだろう。それだけの手間をかけてでもその島に惹かれる理由は何だろうか。などと考えていたらもうあの島は見えなくなってしまった。瀬戸内海は穏やかだ。日本海の冬は恐ろしく荒れているし、太平洋は広く海流も激しい。呉に軍港を置くのも納得がいく。

電車は坂出駅に到着した。四国初上陸、駅に降りた途端柑橘類のすっぱいにおいがした。ああ、これが四国か。今日の旅程では父母ヶ浜に行くことになっている。干潟に取り残された潮だまりに夕日が反射するため「天空の鏡」と呼ばれ話題になっているのだ。ぜひ自分の目でそれを見るために一昨日一日かけて青春18きっぷで四国に行く計画を立て、昨日出発して姫路で一泊、そして今日四国に初上陸したのだ。

入線を知らせる音楽が流れた。初めて聞く入線メロディだった。ああ、これが四国か。松山行きの予讃線快速サンポートが到着した。先頭車両の運転席後ろ、進行方向がよく見える位置に乗り込んだ。出発すると、ホームにとまっていたかもめが一斉に飛び立った。いいなぁ、海が近いんだ。これから海に行くんだ。

詫間駅で降り、地元の100円コミュニティバスに乗り込んだ。

「すいません、父母ヶ浜へはこのバスでいいですか?」

「ああ、大丈夫ですよ。父母ヶ浜で降りてね」

車内に観光客は私一人だった。それもそうか、今はまだ正午少し過ぎで夕日までにはまだだいぶ時間がある。

「父母ヶ浜。」

バスを降りようとしたときに運転手さんに声をかけられた。

「海に行くなら帰りはそこのブラシで靴の砂を落としてから乗ってね」

「はーい」

バスを降りてすぐに海が見えた。とても広い砂浜だ。海水浴客が数人いるくらいの、のどかな海だ。江の島ならこうはいかない。サーファーと泳がないのに水着を着ている人たちであふれているはずだ。でも今日は久しぶりに海で泳ぐつもりだ。一人旅のためシュノーケルなんて持ってないし、この旅は急に決めたので買いに行く時間もなかった。まぁゴーグルと海パンがあれば十分だろう。更衣室を探すと、南国風の解放的な店を見つけた。ここで着替えやシャワーを浴びることができるようだ。黒板にチョークで書かれたメニュー表があった。ご飯も提供しているらしい。そういえば昼飯がまだだった。

「すいません、シーフードカレーください」

「はいよ!シーフードカレーね、ちょっと待っててね」

ハンモックもあるテラス席の丸い木のテーブル席に腰かけてぼーっと海を眺めていたら料理を運んでくれた。サフランライスにエビがまるまる入っててバジルが添えられているカレーだ。トマトときゅうりの酢漬けもあった。カレーはトマトが入っているようでさわやかな酸っぱさが海にとてもよく合っていた。氷が入った水が火照った体に染みる。

更衣室で着替え外に出ると全身に海の風を感じた。海の向こう側に二つ、こぶのような島が見える。砂浜に歩き出すとそこら中の地面に穴が開いていることが分かった。なんだろうと思いながら歩いていたら潮だまりに穴があって近くにそいつがいた。ヤドカリだ。いっちょ捕まえてやる。意外と素早い。捕まえようとしたら穴に逃げ隠れられてしまった。何度か挑戦し、背後から差し足抜き足忍び足、刺客が如くさっと手を差し伸べてようやく捕まえた。かわいいやつめ。まぁ分かってたけど捕まえたら貝のなかに引っ込んでしまった。いいや、もう満足したから泳ぎに行こう。

水は冷たすぎず熱すぎず、海水浴にちょうどいい温度だった。というか、めっちゃ透明!海岸線からだいぶ離れても足がつくくらい遠浅だった。これならシュノーケルがなくても安心だ。さぁ、魚はいるかな。ゴーグルをかけ、息を吸い込んで潜り込んだ。あ、シロギスだ!しかも25cmくらいある!天ぷらにしたら絶対美味いやつやん...海でシロギスが泳いでる姿なんて初めて見た。投げ釣りで釣ったことなら何度かあるけれども。他にもキビレという鯛の仲間も見ることができた。

一時間ほど泳いで疲れたので海水浴は終わりにした。一人で海で泳いだってすぐ満足して飽きてしまう。温水シャワーを浴びて着替えた。まだ午後3時ごろ。リフレクションの時間には早い。適当に散歩していたら眠くなってきたので砂浜と芝生エリアを分ける石垣に横になった。何か飲もうと思って持ってきたペットボトルのお茶を飲んだらぬるくなっていた。目を閉じても夏の日差しでまぶたから光を感じる。海風が心地よい...

頬に風を感じて目が覚めると4時半だった。日は傾きかけている。そろそろリフレクションを撮りに行こう。今日は日暮れと潮が引く時刻が重なる数少ない日だ。海岸線は先ほどよりずいぶん後退し、干潟には海に取り残された潮だまりがいくつもできていた。

「すいません、こんな感じでできるだけカメラを水に近づけて水に反射するように撮ってくれませんか?」

ちょっと緊張したけど、一眼レフを首から下げている若い男性に頼んだところ、快く引き受けてくれた。一人旅なので自分の写真を撮れないのだ。旅の恥は搔き捨て、いつもと違う私もたまには良いものだ。

何枚か写真を撮ってもらって満足したので、干潟をぶらぶらしたり、さっき昼寝した石垣に座ってぼんやり海を眺めたりした。いつぶりだろう、こんなにのんびり海を一人で眺めたのなんて。ここ数年、受験勉強で余裕がなかったもんな。今くらい休んでもいいだろう。だんだん空のグラデーションが強くなってきて、空間が黄金色に包まれた。やっぱりもう一回、この夕陽の中で写真を撮ってもらおう。

完全に日が沈んでしまうと風が急にひんやりしてきた。心地よい疲れとさわやかな満足感に満ちる。ブラシで靴に着いた砂を落としバスを待つ。今日は高松に宿をとってある。さぁ、初めての本物の讃岐うどんを食べに行こう。いつのまにか周りには誰もいない。漠然と、良い旅になると思った。

 

星空

「なぁ、あの星、地球よりもでかいんだぜ。なんなら太陽よりでかくて熱い。すごいよな、おとぎ話みたいだよな、ちょっと見上げればそんなもんがすぐにそばに見えるなんて。」

「ああ。でもすぐそばじゃないぜ。あの星は地球からはずっと遠い。光の速さは30万km/s、地球一周は4万km/sだから光は1秒で地球を7周半するくらいの速さなんだけど、あのオリオン座のベテルギウスはえっと...640光年、つまりこのめちゃくちゃ速い光の速さで進んでも640年かかる距離だよ。」

「知ってるさ。でも、俺らはそれを今ここで一緒に見れてるじゃん。ベテルギウスまで行くことは俺らが生きている間には叶わないけど、肉眼で見えないほど遠いわけじゃない。あの星と俺らとは、遠く離れているけど無関係じゃないんだ。それだけでロマンがあるじゃないか。」

「それもそうだな。」

僕は嬉しくなった。こいつと出会えただけでもうこの高校に進学した甲斐があった。

「僕、小学二年生の時に将来の夢を決めたんだ。天文学者になる夢だ。父が買って家に置いてあった科学雑誌をなんとなくペラペラめくってたら、銀河やクエーサーの写真が載ってた。それがすごく美しくて。あんな天体がこの世界に、本当に存在しているんだってことを知ってわくわくしたんだ。それから毎日晴れている日は空を見上げるようになったんだ。」

「へぇ、ロマンチストだね。」

あいつは輝くばかりの微笑を浮かべた。

「そのころ、図書館である随筆を読んだ。アマチュア天文学者の話。自宅の屋根に上って望遠鏡と星の地図とを見比べて、まだ見つかっていない星を探すんだ。一番初めに星を見つけた人にはその星の命名権が与えられるんだ。それって素敵だと思わない?」

「いいね。とても素敵だ。お前は新しい星を見つけたら何て名前を付けるんだ?」

「え...そういえば新しい星を見つけることも星に名前を付けることも素敵だと思ってたけど、そう言われてみると考えたことなかった。難しいな...」

彼はビルとビルの間の限られた星空を見上げたまま沈黙した。彼は焦らないのだ。話すべきことがあればずっと喋り続けることもあるが、聞いていて疲れない。そして普段はじっと僕の話を聞いてくれる。考えているときに口をはさんで思考を中断させない、不思議な才能を持っている。

「そうだな、俺が見つけたとしても思いつかないや。俺も将来は星に関することをやりたいと思ってた。でも、才能がなかった。高校数学でさえちんぷんかんぷんだ。そんな俺がこのまま努力を続けたって一流の天文学者・物理学者になんかなれっこないよ。学者ってのは、超優秀な一人がいれば十分なんだ。たくさんの凡人がいたってしょうがないんだよ。」

僕はいらいらした。

「お前さ、やってみなきゃわかんないじゃん!努力が足りないならもっと努力すればいい、本当に好きなら貫けよ!僕だって才能なんかない、でも、星が好きだって気持ちは本当なんだ。そのためならなんだって差し出してやる、僕の時間を全部物理につぎこんだっていい。それだけが僕にできることだ、それだけしかできないけど、僕は夢を追うよ。」

彼は目を少し細め、悲しそうに僕に向かい合った。

「君はすごいよ、そんなに自分を信じることができて、そんなに努力することにためらいがなくて。俺も君のようにいられたらどれほど幸せか。今の君はとても輝いている。でも、周りのことも見て欲しい。素敵なことは、何も星や宇宙の神秘だけじゃないよ。この世界はもっとたくさんの美しいことであふれている。」

「うん、まぁ、確かに」

「君は俺から見るとずっと我慢しているように見える。本当はもっと遊びたいし人と仲良くしたいのに自分からその可能性を閉ざしてしまっているようだ。それだけ豊かな感性を持ちながら、自分を閉ざすのはもったいないよ」

正直彼が何を言っているのかよく分からなかった。そんなことない。僕は本当に物理が、星が好きなんだ。でもとりあえず頷いておくことにした。

「俺はお前とこうやって話す時間がとても好きだ。ずっとこうしてお前が夢を語るのを聞いていたい。特に夜はそんな気分だ。俺という存在が夜に溶けて、世界に浸透していくようだ。」

「ああ、僕もこういう時間は好きだよ。お前となら何時間でも話していられるよ」

彼はいつも笑ってんのか無表情なのかよくわからないへらへら顔をしているが、このときの彼は明らかにそれとは違う表情をしていた。でも僕にはそれが笑みにもみえたし、泣きそうになっているようにも見えた。僕は、彼のことを何も知らないのかもしれない。

冬の都会の階段は冷たく、尻が冷えた。コンビニにトイレに行ったついでに彼の分のココアも買って一緒に飲んだ。吐く息は街灯に照らされて白く乱反射した。

井戸

井戸を見つけた。フラフラあてもなく散歩してなんとなく入った公園の鬱蒼とした茂みにたまたま古井戸があった。水道が発達した現代ではもう井戸なんて使わないから、僕は興味を持って蓋をしていたレンガをどけて中を覗いてみた。予想していた通り、暗くて深い井戸だった。その辺に落ちていた石を投げ込んでみると、3秒後くらいにぽちゃという音が聞こえた。音速は十分に速いとし、重力加速度が9.8m/s^2だから運動方程式F=mg=maを解いて落ちた距離をLとするとL=1/2*9.8*3^2~45m程度か。とても深い。この井戸に落ちたら落下時の速度はv=at=gt~30m/s、僕の体重を50kgとして運動量はp=mv=1500kgm/s、着地してから身体が衝撃を吸収しきる時間を0.1sとすると、力積はI=FΔt=Δp=1500kgm/s、つまり瞬間的な力はF=1500kgm/s*10s^-1=15000Nにもなる。これは人間の体重を50kgとしたとき、30人が僕の上に乗ったくらいの力だ。つまり落ちたら死ぬ。

なんてことを井戸端で考えていた。普通の人はこの井戸に落ちたら空はどう見えるかとか考えるんだろうな。きっと空は丸くくり抜かれてレーザー光線のように見えるだろう。ヤングのダブルスリット実験を思い出す。いけない。また物理学を考えていた。無限井戸型ポテンシャルに落ちた電子の気持ちを考えたら心細くなって、井戸を後にした。

夕焼け

「これで会議を終わります、気をつけ、礼」
「「「ありがとうございました」」」
今日の片付け当番は僕ら1年生の学級委員だ。視聴覚室に並べた椅子や机を折りたたみ、棚に戻す。男子は椅子を左腕に2つ、右腕に2つ、合わせて4つ抱えて運び、女子は一部の筋力に自信のある人を除いて両腕に1つづつ抱えて運ぶ。長机は2人1組で運んでいる。僕は力自慢がしたくて両脇に抱えて一度に2つ運んだ。が、流石に重くて机の後ろの端を地面に打ち付けてしまった。
「そんなに無理するからだよ笑」
いつの間にか両手で1つの椅子を持った凛花が後ろにいた。
「ごめんごめん、早く終わらせて部活行きたくて笑」
「田辺くん、足速いもんね。大会いつだっけ?」
「再来週の土曜日。もう近いからこんなことやってる場合じゃねぇんだけどな...」
「あはは。でも今日は片付け終わったあとも「残業」あるよ?」
「そうだった!うわぁ、まだまだ部活行けんわ...」
「そうだね〜笑」
なんでこいつは嬉しそうなんだ、僕は早く部活行きたいって言ってるじゃないか。
5クラスの学級委員が各々自分の出来る範囲内で努力してくれたおかげで片付けは5分程度で終わった。僕と凛花は1-4教室に戻った。みんな部活に行ったか、そうでなければ帰ったのだろう、誰もいなかった。
「今週も盛りだくさんだなぁ...」
明日の朝の会で会議で話し合ったことについてクラスに報告しなければならない、しかも今週はクラスごとに今月の目標を決めろという課題が出ている。これを僕ら2人の間では「残業」と呼んでいた。
「そうだね、ちゃちゃっと終わらせちゃおっか!」
「終わらせちゃおうって、お前いつもアイデア出さないで僕に任せっきりじゃん」
「てへ」
「てへ、じゃないんだよなぁ...まぁいいや、始めよう」
窓辺には夕日が暖かく差し込み、カーテンは風に揺れていた。教室の電灯をつけ忘れていた。

高校生になった今、夕方の教室に1人佇んでいて、ふと中学の凛花のことを思い出した。あいつ、元気かな。

青空

五月、久しぶりの晴れだ。今週一週間はずっと曇っていたり雨が降っていたような気がする。雨や曇りの日は体が重く、気分も沈む。私は低気圧に弱い。台風が来た時には頭は割れんばかりに軋み、全身が動かなくなる。でも今日はようやく晴れた。雲ひとつない青空だ。天に向かって伸びる高層ビルの窓ガラスは日光を反射しきらきら輝き、樹木は全身に光を浴びて名残惜しそうに木漏れ日を落とす。無機物に命が宿り、世界は祝福された。日のもとに、全てが平等になり、どこまでも高い天空に吸い込まれてゆく。