魔法の鉛筆
しとしとと柔らかな雨が降る。古魔導書が床に積んであるために昼間でも薄暗い室内の窓から見える紫陽花の葉にはかたつむりがのろのろと這っている。今日はもう5月だというのに肌寒く、火をくべられたレンガ造りの暖炉のそばにある安楽椅子に腰かけながら、私は憂鬱そうに窓の外を眺める。
「やあ、また来たよ」
ノックもせずに突然扉を開けて入ってきたのは、黒の中折れ帽を被りキャラメル色のスプリングコートに身を包んだ男だった。
「おい、ノックしてから入れと言っているじゃないか」
「ごめんごめん、つい忘れちゃってね。それよりこれを鑑定してくれないか。終わったら手紙をよろしく、じゃ」
男はそう言って何かを机に置いて去っていった。全く、あいつはいつもこうだ。自分の仕事にしか興味がない。やれやれ、私も自分の仕事を始めるか。手に持っていた飲みかけのコーヒーカップをソーサーに戻し、机に向かう。
ペンドゥラムの耳飾りを付け、今日も私は魔法骨董の声に耳を傾ける。やがて聞こえてくる声を書き留めるために。
2023/5/15 13:48
[道具の形]書く/描くもの
[魔法の効果]運動
[魔法の程度]2:ちょっとした効用
この魔法の道具は鉛筆です。黒鉛には魔力の込められた粉が混ざっており、描いた絵は描かれた紙の中で意志をもって動き始めます。鉛筆はかなり短くなっていて、電動鉛筆削り器では削れないくらいの長さになっています。私はできるだけ黒鉛をすり減らさないように気を付けながら椅子に座った二十歳くらいの女性を描き、手話を通じてこの鉛筆のことを聞き出すことにしました。以下はこの鉛筆が語った出来事です。
「直前の持ち主はどのようにしてあなたを手放すことになったのですか?」
「直前の持ち主である少女は私の効果を知らなかった。少女は自宅の筆記用具入れから適当に鉛筆を取ってブランコを漕ぐ少年の絵を描いた。絵が描き終わるとブランコが動き出し、少年がにっこり笑った。少年ははっきりと少女に向かってほほ笑んだ。少女は驚き気味悪がって両親にこの出来事を話した。ブランコの絵を見せたが、両親にはブランコは動いて見えないようだった。少女のことを心配した両親は少女を精神科に連れて行った。医師は少女が幻覚を見ていると診断し、少女は病院で療養することになった。少女は両親さえ彼女の話を信じてくれなかったことに加え療養所の精神病患者との暮らしの中で徐々に狂い始めた。結局少女が療養所から出られたのは入院してから10年以上経った頃だった。両親は娘が狂い始めた原因が住居にあると感じてその不吉さから転居し、私もこのとき捨てられた。「狂気の家」と噂されたこの家は不動産会社によって調査され、調査員に扮したSCP財団のエージェントによって私は発見された。そして異常性の鑑定のためこの魔法骨董店に送られてきた」
「あなたを一番長く使っていた人間はどんな人でしたか?また、大事に使われていましたか?それともたまたま置かれていましたか?」
「私を一番長く使っていたのは私を作り出した魔法道具職人だ。彼は魔術師の使う魔法具を作ることを専門としている。例えば魔術を増強する杖、書かれた名前の人物を死神に命じて殺すノート、さらに身体を魔術から保護するローブなど、様々な魔法具を作っている。彼は書いた文章の内容が実現する鉛筆を開発していた。その際、失敗作として私が生まれた。彼は試作品として私をしばらく研究室に保管、研究した後、売却した」
「持ち主が変わったときのことを教えてください。そのとき合意はありましたか?」
「職人は魔法画家に私を売却した。しかし職人は私の効果を十分に知らなかった。職人は一人だけで研究していたため、私の効果が描いた本人にしか現れないことに気づくことができず、画家にそれを教えることができなかった。購入した魔法画家はホグワーツ魔法魔術学校から依頼を受けて「動く鉛筆画」を注文されていた。そのため魔法の込められた画材を探していたところ私を見つけて購入した。画家は3カ月かけて絵を書き上げ、ホグワーツに納品した。数日後、「注文と違う、絵が動いていない」という手紙がフクロウによって届けられた。「動く鉛筆画」の収入をあてにして私を高額で購入した貧しい画家はアトリエの家賃を払えず追い出された。私は彼の元アトリエに取り残され、忘れ去られた。そのアトリエを家具一式まるごと少女の家族が購入し、住み始めた」
「画家の描いた絵はその後どうなりましたか?」
「画家の描いた絵はホグワーツに納品されたが、注文と異なるものだった。そのためホグワーツの事務員はこの絵の扱いに困った、というのも絵は動かないので絵画担当の事務員の上司は画家に返却しろと言うが、画家の住所が分からず行方不明だからだ。それにこの絵は確かに動かないが、鑑定魔法の結果、魔力が込められていることが分かった。下手に捨てたり燃やしたりすれば何か不吉なことが起こるかもしれない。審議の結果、地下の魔法具資料保管庫に保管されることになった」
描かれた女性に様々な質問をしているうちに、だんだんと女性の動きが鈍くなっていき、魔力が切れる時が近いことを悟った。私は彼女に最期の質問をした。
「あなたはもうすぐ魔力を失い普通の鉛筆になるでしょう。魔力を失った後、どのように扱われたいですか?」
「私はこの魔力のせいで人々を不幸に陥れてきた。この力が失われるのは嬉しい。私はもう短くなってしまったし魔力のないただの中古の鉛筆なんて誰からも必要とされないだろう。だが、願わくは鉛筆としての使命を全うしたい。どうか、私を使ってくれないだろうか」
そう言って、描かれた女性は動きを止めた。
私は筆をおき、ペンドゥラムの耳飾りを外した。
「やあ、また来たよ」
数日後、ノックをしない彼がまた来た。
「やあじゃないよ、ノックをしろと言っているだろう」
「ごめんごめん、つい忘れちゃってね。それよりこれを鑑定してくれないか。終わったら手紙をよろしく、じゃ」
彼は扉を出ていこうとする。しかし、机の上にあったものに気づいて振り返る。
「そういえばこの鉛筆、魔力を失っちゃったんだね。残念だなぁ」
「お、君が依頼以外の話をするのは珍しいじゃないか。そうだなあ、でも魔力があるほうが良いとは限らないよ」
「あはは、魔法骨董屋なのにおかしなことを言うじゃないか。」
そう言って、彼は去って行った。さあ、私も仕事を始めよう。
机に向かい、ペンドゥラムの耳飾りを付け、今日も私は魔法骨董の声に耳を傾ける。
「今日からよろしくね、新入りさん」
筆の代わりに鉛筆を持って。
本作はソロジャーナルRPG『魔法骨董ここに眠る』の二次創作です。無料で公開されています。良ければ皆さんも遊んでみてください!
嫌い。
歳をとり
経験を積み
分別がつくほどに
嫌いなものが増えてくる
許せないことが見えてくる
いっそう繊細になってくる
大人になるって
こういうことなのかな
感性を深くしまいこむ。
安易に傷つけさせないように。
仲良くなれる人は
限られるかもしれない
でも仕方ない
私は私のかけがえのない人だもん
大切な君にこっそりと
みんなに内緒で心を開く
大切にしてくれる君とだけ
豊かな翼で宙を舞う。
夜の窓際、雨音と隣家の灯
何にも考えたくない
何にも考えたくないんだけど
何人もの僕が寄ってたかって
一人の僕をいじめるんだ
もうやめてよって言っても
これは君のためだと聞いてくれない
もがく程に沈んでいく沼
口が塞がれて息ができない
少しづつ、少しづつ
言葉を失ってゆく
感情を失ってゆく
自分を失ってゆく...
20:30の図書館
20:30の図書館
数式の世界、旅を終えよう。
見上げた20:30の図書館
6人がけ机50個、座っている人3人
無言の本棚 重くたたずむ
いつの間にか開いてるサンシェード
窓ガラスに映る僕の姿
外の暗闇
図書館3F 本の香り 柔らかい空気
昼のキャンパス 華やかな雑踏に飲まれる
薄まる存在 どうせならここがいい
ユニタリ行列
「諸君、朗報だ!」
「諸君って、俺しかいないっすよ先輩?」
「なんと...我が数学研究部に女子転校生が入るらしい!」
「...またまたぁ、遂に暑さにやられて脳のCPUが熱暴走しちゃったんですかぁ先輩?こんな四畳半もないむさ苦しいホワイトボードしかない会議室で生徒会のいない時間にこそこそ数学やるだけの非公認団体に女子なんか来るわけないじゃないですか。部員は俺と先輩、あと新歓ともう1回くらいしか来なかった幽霊部員の佐々木しかいないし、しかもこんな中途半端な時期に来るわけないじゃないですか」
「バカにするな岡谷!俺は確かに知ってるんだ!1-Cに転校生が来たことはお前も知っているだろう?」
「もちろんですよ、うちの高校ほとんど転校生なんて来ませんからね。しかもお嬢様学校で有名なセイントリリーからだとか。まさか、その娘が?」
「そうだ!」
「いやいや...そんなわけ」
「いいや!本当だったら本当だっ!明日、見学に来るそうだ!どこで知ったか俺のLINEに直接メッセージが来たんだ、明日見学に伺いますって」
「はぁ...もう相手するの疲れたんで帰りますね。じゃ」
「頼むよぉ、信じてくれよォ!部員お前しかいないんだよ!俺、女の子と2人きりでこの部屋いたら緊張でどうにかなっちまうって!お願いだから助けて!」
「しょうがないなぁ。まぁ明日になればわかる事だし、とりあえず今は信じますよ。で、俺は何したらいいんですか、先輩?」
「ふぅ...良かった、とりあえず引き止められた...まずは明日、彼女に我が数学研究部の紹介をしなくてはならない。何をしたらいいと思う?」
「まぁ、無難に俺らが普段活動しているところを見せればいいんじゃないですかね。ちょうど今日先生から問題貰ってますし。」
「そうだな、いつも通りでいこう。ところでその問題見せてくれないか?」
「ああはい、どうぞ」
A,Bをエルミート行列とし、A,Bの規格化された固有ベクトルをブラケット記法でで|a>,|b>とする。U_jk=<a_j|b_k>とするとき、Uはユニタリ行列であることを示せ。
「ふむ、U_jkがユニタリ行列であることを示せば良いのか。JKを数学研究部に誘うのにもってこいの問題じゃないか」
「そんなこと言ってるからモテないんですよ先輩」
「なにおぅ!?お前だって今U_jkって言った時窓の外見たじゃん!そっちにプールがあるのは知ってんだぞ!女子の水着姿覗いてたんじゃないのか?」
「そんなわけないじゃないですか、誰もいませんでしたよ。」
「ほら、見ようとしてんじゃん!お前だってそんなだからモテないんだよ!」
私と佐々木は第三会議室の外で彼らに見つからないように聞き耳を立てていた。
「どう?馴染めそうかい?」
「ああ、最高だぜ...!」
思った通りだ。あんなクソ女子校抜け出してきて正解だった。マウント合戦、彼氏自慢、見栄をはるための容姿への投資、カースト制。うんざりだ。私も思ったことを叫んで蔑み合うくらいの仲間が欲しい。もう女だらけの空間なんて嫌だ。
「俺としてはあいつらに女が割り込むのは、勘弁して欲しいのだが...」
「ごめん、こんなの見てたら私我慢できない!」
「気持ちはわかる、だがよく考えろ。お前が入ったらあの2人はきっとお前に興味を持つ。そしたらあの関係は崩れてしまうんだぞ?それをお前は本当に望むのか?」
「ふぐぅ!うっ、それは嫌だ、でも彼らと話してみたい...」
「まぁいい、ゆっくり考えろ」
私が数学研究部に入ろうと思ったのは純粋に数学が好きだからというのもあるが、部員が彼らだからというのが一番の理由だ。2-Dの斉藤、1-Aの岡谷、1-Cの佐々木。うち佐々木は幽霊部員だと本人から聞いた。彼が幽霊になったのは、斉藤と岡谷があまりに尊いからだ。新歓に来た時から2人はすぐに意気投合し、今みたいに罵り合う程の仲の良さだったようだ。佐々木は彼らの関係を守るべく、ひっそりと部活に出なくなり、ときどき今みたいにドアの前から談笑を聞いているらしい。こんな話を転校初日、佐々木の隣の席だった私が数学研究部について尋ねたら教えてくれた。
私はセイントリリー時代、1度は本気で男になることを考えた。けど環境が悪いのになんで私が我慢しなきゃけないのかと憤った。そして転校を決めた。親には猛反発を受けた。あなたをそんなふうに育てた覚えはない、もう学費は出さないと。でも私の決意は固かった。家出して深夜のコンビニバイトを始め、一人暮らしを始めた。髪を短く切った。そして僅かな時間をこの高校の編入試験の勉強に当てた。ここなら優秀な成績を取れば学費、寮費が免除される制度がある。勉強は幼い頃から得意だったし、学費免除の自信ならある。
私の青春は私が掴む。もう誰にも邪魔させない。
風
「急停車致します。お近くの吊革にお捕まり下さい」
「ただいま人身事故が発生しました。新しい情報が入り次第お知らせ致します」
え。まじか。もうどうでも良くなってきたな。大学行かずに帰るか。今日は2限からだから1限の日よりは楽だけど、その生活にも慣れて2限に間に合うように登校するのさえしんどくなっていた。昨日は日曜日だからと一日中寝ていたにも関わらずだ。今日は8時にアラームをつけたが、意識は湖の底の泥の中のように重く、身動きが取れなかった。それでも母にカーテンを開けられ無理やり叩き起されてなんとか家を這い出てきた。その矢先に人身事故で車内に閉じ込められたのだ。もういいや、今日は近くの喫茶店に入ってやらずに放置していた大学の復習をしよう。そう諦め、僕はさっきまで読んでいた本を再び読み始めた。その物語は妻に家出された男が井戸の中に入って思考に沈む話だった。僕らは何かが自然落下してくることを察知してそこに待ち構え、それを僕らの中に通過させていくことしか出来ない。落ちたものをもう一度持ち上げたり、右にあったものを左に移すということさえも叶わない。にもかかわらずその自然落下する何かを察知できず、正しい位置に待ち構えられなければもはやそれを通過させることも許されなくなる。僕はそれが通過する一瞬間にだけ僕の存在を手に取って眺めることが出来る。でも、しばらくそれは失われてしまうようだ。次いつ落ちてくるかも分からない。電車内は、そんな現実性を欠いた空間になっていた。時間がどっちに進んでいるのか分からない、もしかしたらずっとそこに澱んで沈んでいっているのかもしれない。車窓には日光が射していたが、ひどく人工的に思えた。
気がつくと電車は動いていた。でももはや僕には動いていても止まっていても、どちらでも構わなかった。僕の意識はあの事故現場に取り残されてしまった。いつの間にか線路に飛び込んだ誰かと入れ替わってしまったのかもしれない。彼は、もうずっとそこから動くことができないのだろう。それはどんな気分だろう。
新百合ヶ丘で駅のホームに降りた。閉所から解放されて少しだけ現実性が戻ってきた。大学に行こうか家に帰ろうか逡巡した。
「次の新宿行は5番ホームより出発します」
それを聞いて自動的に身体が5番ホームの電車に乗り込んだ。そもそも僕に選択肢なんてなかったんだ。何かが落ちてくるのを察知したら、そこに身を移すことに慣れてしまっていた。
乗り換えて池袋に着いた。地下道を出て、強い陽射しを受け輝く横断歩道を渡る人の一群が、これは現実だと教えてくれた。路地に一陣の5月の風が吹き、目が覚めた。突然世界が色に溢れた。木々は生命力の溢れた緑に輝き、人々の笑い声が耳に入り、青く限りない空が頭上に広がっていることを思い出した。空腹を感じた。横浜家系ラーメンは体の隅々まで行き渡り、僕の身体が肉であることを示した。まぁ、何が起こるか分からないけど、なるようになるさ。僕はしばらくの間公園で昼の池袋をぼんやり眺めた後、大学に向かった。